ミルズは1980年代に世界各国のストリートでグラフィティを次々と描き続け、その実績が礼賛を浴びてプロアーティストとしてのキャリアを歩んでいった。彼は子供の頃より自己表現の手段として絵を描き始め、今日の彼の作風の特徴である微にいり細にいる肖像画や人物描写における顔の表情は、そうした中で育まれてきたのである。グラフィティ・ライターとしての彼はraw surfacesに作品を記し、それらの全ての作品はrich textureを伴ったクリエイティブなイメージを持っていた。次いで作品をカンバスへと移して描きはじめた彼は、ペイントを幾重にも重ねることによってtextureをクリエイトし続け、彼のペインティングの中に新しい次元を構築していった。
ミルズは1988年にヨーロッパで最初の作品の注文を受け、1991年にオーストラリアに戻る。そして、以後12年間にわたってオーストラリア、アメリカ、ヨーロッパで次々と絵画や壁画の注文を受けることとなった。グループによる展示会に幾度か出展したミルズは、1996年にソロで初めての展示会を開き、そこで展示された全ての作品が開始直後の10分間で完売し、批評家の絶賛を浴びた。様々なアートの出版物に取り上げられているミルズだが、その仕事の幅はペインティングだけに留まらず、ロスアンゼルスのショートフィルムのセットをはじめ、パース国際アートフェスティバルのデザインや、権威あるアート団体が催す国際的な展示会にも幾度としてアドバイザー的な役割で関わってきた。
ミルズの多才な才能が一躍世界に認知されたのは、2002年にギリシャで開かれたクロモポリスという、いわばオリンピックの文化版的なイベントに、彼がオーストラリア代表として参加した時であった。このイベントはギリシャ中を巡回し、大規模なパブリックワークをクリエイトしていったものであった。また、同じ2002年にミルズはウエスタン・オーストラリアで最も権威があるビジュアルアートの競技会パース・アート・アウォードにおいて“370 William St”で賞を授与している。ミルズは1994年にはハドソン・ギャラリーにて自身2度目の展示会を催し、ここでもまた展示会開始直後の10分間で全ての作品が売り切れた。テムズ&ハドソン社が出版した2004年のグラフィティ Worldにて取り上げ紹介されたミルズは、ロンドンで行われたその出版記念会に出席し、London Institute of Contemporary Artにてスピーチを行っている。最近は再びロンドン入りし、Thomas Neal’s CentreのProject 11というイベントに参加した。 |