|
|
http://www.ObeyGiant.com/ |
http://www.StudioNumber-One.com/ |
|
シェパード・フェアリーはアンドレ・ザ・ジャイアントを普遍的に作品に登場させるという、ある種パロディー的なストリート・キャンペーンを展開することで、長きにわたってその野心溢れる存在を大衆にアピールしてきたアーティストである。フェアリーの雄大なる風刺作品の数々は、著名人をモチーフとする技、並びに欲望を暗示する魔力的な手法に帰依しており、そのスタイルの始まりは、1989年に彼がまだザ・ロード・アイランド・スクール・オブ・デザイン在学中にまで遡る。以来、彼のプロパガンダはステッカー、洋服、スケートボード、ポスター、ステンシルベースのグラフィティ、そしてドキュメンタリーフィルムにまでも取り上げられ、米国はおろか、世界中へと急速に普及したのである。現在はロスアンゼルスに拠点を置くフェアリーだが、彼のデザイン会社であるNumber One社は数多くの一流企業を顧客として抱え、それらの企業は、彼が産み出すコマーシャル・パロディーが、どれだけ売り上げ増に貢献できるのかという期待を込めて彼と契約している。
フェアリーの留まるところを知らない成功は、やがて彼の作品を手作りの一元的なものから、色鮮やかなテレビ画面へと導くこととなる。彼が創り出すイメージの素晴らしさを語りきるのは無理なのだが、創り出された作品が何であれ、それらは全て魅惑的なものであり、どうしてもその世界に引きずり込まれてしまうのである。美的感覚を用いた手法と、アートそのものの内容を見たとき、シェパード・フェアリーの世界は、謙虚でありながらもまるで見境を失くした些細な冗談のようでもあり、彼の創り出す世界が大きくなればなるほど、その世界は無限大の拡がりを見せるのである。さらに付け加えるならば、シェパード・フェアリーの軽薄でいたずらな世界は、より強烈さと複雑さ、また野心と知的な素養をも生み出すのである。彼が継続している“ジャイアント”なプロジェクトは、14年の時を経ても断固としたマニアックな世界を維持しつつ、より一層の挑発をも呼び起こしている。しかし、当初はジョークとして通用していたものが今やそれが冗談ではなくなり、作品によって描かれた社会の崩壊とその予兆は、運命のいたずらか、全くの真実を語るものとなったのである。ただ作品がナンセンスであることには変わりはなく、それでもなおそこに真実を見出すことが出来るのだ。Obey Giantなどはまさに謎であり、それ自体がいかなるものなのかは説明を要する。それ本来がストリート・アートであるがゆえに、グラフィティのムーブメントという周囲の環境を念頭に置いて捉えるべきである。つまりは、Obey Giantのステッカーがどこかに貼られるということは、故意に芸術が破壊されるということを意味するのだ。
何のメッセージも持たない無料の広告は、施設や場所への冒涜となるばかりか、それらは最も崇敬される万国共通の言語、いわゆる商業における記号論をも危険で有害なものと化してしまうのだ。フェアリーは型にはまった“人種差別反対”や“権威への疑問”などの様にあらかじめその答えが方向づけられている問題と戦っている。つまり、フェアリーはより不明瞭で多義なメッセージを発信することで、「果たしてこの作品に隠されたメッセージとは何か?」という疑問をフェアリーは我々に問いかけているのである。
−(文)カルロ・マコーミック(Paper Magazineのシニアエディターであり、Art ForumやJuxtapozにも多くを寄稿している) |
|