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1971年9月27日、ロスアンゼルス生まれ。そのクラッシュが最初にグラフィティ・アートの世界に触れたのは、映画の“Beat Street”や“Wild Style”、そして“Subway Art”という書物を通してであった。即座にカラフルで鮮やかにきらめくスプレーペイントと、ニューヨークの市街から生まれた様々な様式のレタリングに魅せられたクラッシュは、“Wildstyle”という独自のレタリングを生み出すことに没頭していく。Seen、Futura、Lee、Dondi、Phase2、Dez、Doze、Skeme、Kase2をはじめとした多くのアーティストに触発された彼は、それらアーティストの作品を多大な時間をかけて熱心に見習いながらアートの練習に時間を割き、ただの模倣は何の価値も生み出さないことを念頭におきつつ、自分独自のスタイルを築き上げていった。1986/87年になると彼は修行の旅に出て、今や伝説となったPan Pacific、Pico Yard、Jefferson Yardを巡回、そこでL.A.グラフィティのアーティストであるRiot、Flame、Risk、Dream(SMD)、Rise、Soon、Charlie、Rev、Gremsをはじめとした大勢のアーティストの作品に触れた。ロスアンゼルス・グラフィティの第1世代のアーティストは多大な影響を次の世代へと及ぼし、後に続く者たちの道を切り拓いたのであった。この頃、クラッシュは同じライター仲間であるRage やWiseと出会い、1988年には3人で高名なLAクルーとして名を馳せていた“Kings Stop at Nothing”(KSN)に招待され、そのクルーの一員となった。KSNのメンバーとなることでクラッシュは、当時のベストライターたちから様々なことを学ぶことができた。それをきっかけに、クラッシュは独自のスタイルである複雑なレタリングを、バランスと独自性において確立し始めるのである。
1990年には彼の良き友であったSumetとTykeによってEklipsに紹介され、彼は悪名高い“Angels will Rise”(AWR)のクルーとして招待され参加することになった。AWRでは皆がお互いの長所を学び、当時ではベストな作品のいくつかを電撃的に生み出していた。AWRは今もなおストリートのベストライター達を抱えており、そのブラザークルーであるMSKとともに、グラフィティの未来を切り拓いていく存在である。現在のクラッシュは引き続きウォールペインティングをしながら、素晴らしいアート作品の創作や、フリーランスでイラスト制作などに携わり、ロスアンゼルスの会社である71Designteamのグラフィックデザイナーを務めている。彼はまた、余暇で音楽の作曲にも興じている。 |
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